小茂根5丁目にある遺跡。
旧石器時代のナイフ形石器が出土され、
東京都指定史跡に指定され、板橋区登録記念物にもなっている。




石神井川に架かる茂呂橋から南へ向かって。

石神井川に架かる茂呂橋から上流に向かって。

板橋区教育委員会の案内板。

~「茂呂遺跡」の案内板より~
通称「オセド山」と呼ばれるのこの独立陵丘は、縄文時代初期の土器破片の散布地として知られていました。
昭和26年(1951年)3月、縄文土器の採集に訪れたひとりの中学生が、この栗原新道切通し橋の関東ローム層から、境界群と黒曜石製の石器を発見しました。
この発見をもとに、同年七月、明治大学と武蔵野郷土館が合同で発掘調査をおこないました。こうして、旧石器時代の遺跡は、岩宿遺跡が発見された北関東だけでなく、南関東においても存在することが分かりました。
また、茂呂遺跡から出土したナイフ形石器(刺す道具)には、両側に加工が施された特徴的な造りが見られます。これは、「茂呂型ナイフ形石器」と名付けられ、ナイフ形石器の標本式型式の一つとして重要であることから、平成十一年に東京都の有形文化財に指定されました。
昭和44年、この丘陵の一部は東京都の史跡(考古)に指定され、さらに昭和六十年には板橋区登録記念物になりました。
令和二年十二月 板橋区教育委員会
東京都の教育委員会が求める案内板。

~東京都指定中央史跡「茂呂遺跡」の案内板より~
所在地 板橋区小茂根五の十七
都立城北公園苗圃場内
指定 昭和44年3月27日
昭和24・25年の群馬県岩宿遺跡の調査で、赤土の中から石器が発見され、縄文時代よりも古い先土器時代(旧石器時代)と呼ばれる時代が日本にも存在したのではないかという可能性が提起されました。翌年、(昭和26年)3月、瀧澤 浩氏(考古学者) 当時中学生)がこの地域の茂呂山(正確には「オセド山」という。)の道路の切通しから黒曜石製石器一点と礫群(れきぐん)を発見したことを受けて、同年7月の明治大学と武蔵野郷土館が実施した共同発掘調査で、関東ローム層中から石器群が確認されました。
これらの石器群は南関東地方における旧石器時代資料の初例となるもので、茂呂遺跡の調査は、日本列島においてローム層中に旧石器文化が普遍的に存在することを実証しました。とりわけ出土したナイフ形石器は「茂呂型ナイフ形石器」と命名され、茂呂遺跡は旧石器時代の標識遺跡として知られています。東京だけでなく日本列島の旧石器時代を解明した記念すべき遺跡です。
平成23年3月 東京都建設教育委員会

撮影日 2020/12/29


コメント