大門、新大宮バイパスの脇にある神社。
鳥居には浅間神社の文字があるが、史跡を説明する看板には赤塚諏訪神社富士塚となっていて、その裏にある大きな石碑には日露戦役記念碑の文字が刻まれていたりと、ひとつのブロックにてんこもりとなっている。





撮影日 2015/08/08
~「赤塚諏訪神社富士塚」の案内板より~
富士塚は、一般的には、富士山へ登拝することを目的に組織された「富士講」の人びとによって、
富士山を模して造られた、ミニチュアの人造富士山のことで、
富士講が爆発的に広がった18世紀以降に、各地で盛んに造られました。
富士塚の特色は、山麓から山頂にかけて登山道を模した道を設け、
それに沿って石碑を排して、富士山各所の礼拝所を表現していることや、
「黒ポク」と呼ばれる富士山の溶岩石を取り寄せ、使用している点にあります。
また、富士塚への登山自体が、富士山登拝と同様の御利益があるとされています。
なお、各地の富士塚では毎年7月1日前後に、富士山の山開きに合わせた祭礼が行われている所もあります。
当富士塚を造成した富士講「丸吉講」は、
新座郡中沢村(現在の新座市)出身の浅海吉右衛門が開いた講中です。
当時(旧下赤塚村)へと丸吉講が伝播した時期については、詳らかではありませんが、
和光市白子熊野神社境内の富士塚にある、明治3年(1870年)に奉納された鳥居には、
他地域の丸吉講の講中とともに下赤塚の人びとの名が見られることから、
それ以前の幕末期には当地に伝播していた可能性が考えられます。
また、この富士塚の造成時期については、
志木市敷島神社の境内にある「田子山富士」へ奉納された明治5年の「丸吉講新富士百三十三所奉納額」に、
「下赤塚仙元富士」と表記されていることから、それ以前の段階だと考えられます。
当富士塚は、平成22年度、区の登録記念物(史跡)となりました。
平成23円8月 板橋区教育委員会


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