氷川神社 ~舟渡二丁目~ (2020.12)

舟渡2丁目にある氷川神社。
境内には「十度の宮」という石祠もある。
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十度の宮の石祠
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撮影日 2020/12/20
~「氷川神社と十度宮」の案内板より~
御祭神は、須佐之男命と奇稲田姫命です。
舟渡の地には、往古より十度宮と呼ばれる石祠が祀られていました。
「新編武蔵風土記稿」によると、元は旧蓮沼村の西南の辺りで祀られていましたが、
洪水で十度流されて、そのたびに同じ場所(舟渡2-8)に流れ着いたことから村人は、
これを神意ととらえ、流れ着いた場所に塚を築き、榎を植えて、
そこに石祠の正面には「奉修造立氷川大明神御宝前」、
左面には「万時二年六月十五日」、右面には「寛保三癸亥年十二月吉日建立 武州豊島郡蓮沼村別当金剛院」と刻まれています。
これにより、万治二年(1659年)に勧請され、その後寛保三年(1743年)に当社の別当金剛院により再建されたことがわかります。
昭和八年(1933年)、中山道の拡幅工事が行われると、十度宮は蓮根氷川神社の境内に遷され、
しばらくの間そこで祀られていました。
そのご、地元の声を受けて昭和四十一年に当社が創建されると、
十度宮も現在の場所へ遷されました。
平成三十一年一月  板橋区教育委員会
~「『十度宮の宮』の由来」の案内板より~
この舟渡の地には、昔から「十度の宮」といわれた笠塔婆型の石祠が祀られていた。
「十度の宮」の語源について「新編武蔵風土記稿」に
「・・・・古へ村内西南の方にありしが、爰(えん)に塚を築き榎を植えて社を移す。土人今も「十度の宮と稱せり」とある。
この石祠は洪水のため何度も流されていたが、
十度この地(現在舟渡二の八付近)に戻って来たのて、その名が生まれたといわれている。
「十度の宮」の石祠
・右面   万治二巳亥年六月十五日
・西南   奉修造立氷川大明神御宝前
・左面   寛保三発亥年十二月吉日造立
      武州豊島郡蓮沼村別 金剛院
舟渡氷川神社

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