板橋3丁目にある史跡。
裏手がマンションで石碑だけが残っている。


~板橋宿平尾脇本陣豊田家~
豊田家は、板橋宿の問屋・脇本陣、平尾の名主を務めた家であり、代々市右衛門を名乗っていました。天正18年(1590)、徳川家康の関東入国に際し、三河国より移住してきたと伝えられています。苗字帯刀を許され、平尾の玄関と呼ばれていました。
文政4年(1821)、当時平尾に住んでいた俳諧師匠の加藤曳尾庵(かとうえいびあん)は、日記風随筆「我衣(わがごろも)」を記しました。その中に、中山道を経由して江戸での興行に向かっていたペルシャ産のラクダが、当家の奥庭に引き入られている記事があります。曳尾庵はラクダのスケッチとともに、江戸周辺の多くの人びとが、その姿を一目見ようと当家に押しかけた様子を記録しています。
幕末から明治にかけての当主である喜平次は、煎茶道に傾倒し、「鉄蕉」の号を持つ茶人でした。そのコレクションを中心とした「脇本陣豊田家資料一括」は平成8年度に区登録有形文化財となっており、文化サロンとなっていた宿場の姿を伝えています。
慶応4年(1868)4月、下総流山で新政府軍に捕らえられた近藤勇は、平尾一里塚付近で処刑されるまでの間、この豊田家に幽閉されていました。
平成19年3月
板橋区教育委員会
撮影日 2009/12/06


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