五本けやき (2020.12)

川越街道(国道254号)の上板橋付近のシンボルとなっている「五本けやき」。
五本けやきを川越街道上り車線側から池袋方面に向かって。
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五本けやきを川越街道下り車線側から池袋方面に向かって。
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五本けやきを川越街道上り車線側から成増方面に向かって。
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五本けやきを川越街道下り車線側から成増方面に向かって。
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川越街道中央分離帯から池袋方面に向かって。
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~「五本けやき」の案内板より~
大正十二年(1923年)九月の関東大震災で、甚大な被害を受けた東京の市街地は、
復興とともに近郊の農村部へも急速に拡大していきました。
その際、道路網の整備も計画されました。
江戸時代に、中山道の平尾追分(現板橋一丁目)で分岐され、
江戸と川越を結ぶ往還として整備された川越街道は、
蛇行して道幅も狭く、荷車などの往来でできた轍も通行の支障となっていました。
川越街道は、震災復興計画の中で、東京から周辺部へ放射状に延びる幹線放射道路の一つとしての再整備が計画され、
その拡幅と直線化のため用地取得が必要となりました。
この地には、醤油醸造業を営み旧上板橋村村長・東京府会議員も務めた飯島弥十郎家の屋敷林がありましたが、
道路用地となったことで伐採される予定でした。
しかし、同氏の強い要望により、道路中央部にその一部を残すことで新川越街道(現国道254号)が完成しました。
新川越街道の中でも特徴的な景観となったケヤキの木立は、「五本けやき」と呼ばれ親しまれてきました。
立ち枯れにより、三本になってしまった時期もありましたが、
地元有志らによって二本が移植され、元の姿を取り戻しました。
昭和45年(1970年)には、五本けやき保存会が結成され、その保護活動が行われています。
平成31年1月  板橋区教育委員会
川越街道上り車線側の歩道にあった案内板
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~「景観重要樹木『川越街道 五本けやき』」案内板より~
川越街道 五本けやきは、緑豊かなうるおいのある空間を創出しており、
街道の良好な景観形成に寄与していることから、
板橋区景観計画における景観重要樹木に指定しています。
(景観法第二十八条第一項)
板橋区都市整備部都市計画課
撮影日 2020/12/23
当ブログの2008年2月の「五本けやき」の記事はこちらから↓↓↓
https://itabashi-tpb.seesaa.net/article/477563516.html?1609123128

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